前回は、江戸の下級武士さんの話との関連から、江戸の火災層出土遺物なんかはどう考えたらいいんでしょうねって話をしてました。消費遺跡の火災層の場合は、出土品の年代の下限ははっきりしているわけです。でも、それより古いものは、いくら含まれていても原理的にはよろしいわけですよ。しかも、それら出土品の使用期間はバラバラで、長く使用してたもんもあれば、手に入れてすぐに火事に遭ったってもんもあり得るわけです。なので、廃棄時期は同じですが、生産時期まで同じというわけではないということです。
そんで、大名さんだとか上級武士さんちは、だいたい南川原山や内山の製品、つまり、最高級品や高級量産品の輪の中で完結する場合が多くて、これらには多少の質差はあっても基本的に様式差というか、スタイル差はほとんどないわけです。なのでか~んたんって言いたいところですが、ちびっと注意しないといけないことは、偉い人たちは、骨董品つーか、現役で使ってるものが多いとは思いますが、古くから使ってるとか古い時期のものを持ってることも珍しくないわけです…。というとちょっと誤解されるかな?
別に特別にいいもんじゃなくても、磁器はより古い時期ほど高価だったわけですから、昔高い値段で買った食器みたいな、まあ、今となっては、そんな高価なスタイルのもんじゃないけど、別に壊れなかったので今でも使ってるみたいな感じかな。そんなもんも結構あるわけです。なので、17世紀後半の火災層でも、初期伊万里様式のものが含まれることは珍しくないですね。ただ、こうしたもんは、下級武士さんちで出土するような下級製品としての初期伊万里風のもんじゃなくて、通常は本当に古いもんですからね。なので、やっぱ単純といえば単純。
江戸で出土する初期伊万里は、1630年代以前のものはあまり多くなくて、1640年代頃のものから徐々に増えてきますが、ボリューム的には1650年代前半くらいのもんが目立ちますね。つまり、寛永14年(1637)の窯場の整理・統合によって、磁器の大量供給が可能になって以降ってことです。さらに、寛永12年(1635)には外様大名に対して、同19年(1642)には譜代大名にも拡大されて、参勤交代が制度化されますので、食器なども必要になってくるはずですから、だんだん需要が伸びてくるってことでしょうね。しかも、1644年の明から清への王朝交代によって、中国磁器も入ってこなくなるわけですから、そりゃ、肥前磁器いとってはウッシッシってくらいなもんです。もちろん、窯場の整理・統合以前のものが、まったく流通してないってことではないですよ。あくまでも、京・大坂など関西以西と比べればってことです。あと、日本海側には1630年代以前から、東日本にも広く運ばれてますけどね。これって、もともと唐津焼の流通網でしょうね。もとは施釉陶器は、日本全国が美濃の商圏でしたが、またたく間に、日本海側と瀬戸内~関西くらいまでは唐津焼が押さえてしまいますから。
一方、下級武士さんちは、場所にもよりますが、構成割合はともかく、上は南川原山から下は下級品山の製品まで、当時のものから古いものまで何でもありですね。なので、スタイルバラバラ。ついつい、形式学に即してスタイル順に並べたくなるところですが、年代差じゃなくて製品のランク差ってこともあるので、ちょっと難しめですね。
ということで、次回もう少し中・下級品の話をすることにしますね。おしまい。(村)