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有田の陶磁史(419)

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   前回は、東京大学構内遺跡の加賀藩邸の長屋建物群の、天和2年(1682)の火災に関わる土層から出土したやきものには、藩主や上級武士に関わる建物の出土遺物などと比べ、磁器よりも陶器の割合が圧倒的に高いって報告されてますよって話をしてました。出土量の多い碗や鉢では約8割も陶器で、皿類でも4割が陶器だったそうです。つまり、逆に言えば、やっぱ陶器よりも磁器の方がコーキューだったということでしょうね。その中で、碗としては、約6割が肥前陶器で、呉器手碗とか京焼風陶器なんて種類が大半を占めているってことでした。こういうのは、天和2年以前でしたら、ほとんどは大川内山の製品ですね。

 それで、その続きですが、一方皿の方は、肥前陶磁が約8割を占めているそうで、その中の約4割が染付皿、約2割が見込み蛇ノ目釉剥ぎ、つまり重ね焼きした青磁皿だそうです。加えて、掲載図版を見ると染付皿の中にも蛇ノ目釉剥ぎしたものがありますし、約2.5割を占める嬉野市の内野山北窯跡なんかで生産されている銅緑釉の陶器皿なんかも蛇ノ目釉剥ぎするので、トータルすると、皿の約半数が蛇ノ目釉剥ぎ製品だそうです。

 言うまでもありませんが、見込み蛇ノ目釉剥ぎする皿は、窯詰めの際に直接同じものをたくさん重ねて焼きます。つーことは、かつて初期の陶磁器生産のところでお話ししていると思いますが、サヤ鉢に詰める上級品、トチンやハマなどの焼台に1点ずつ乗せる中級品、重ね焼きする下級品の窯詰めの中で、下級品の焼き方をしているということで、つまり、下級品ってことです。

 ただし、勘違いされないように言っておきますが、初期に見られた見込み蛇ノ目釉剥ぎがずっと継続されてたってわけじゃないですよ。一番の違いは何かと言えば、初期の場合は、見込み蛇ノ目釉剥ぎするのは磁器皿に限られ、陶器皿には釉剥ぎしないという厳格な作り分けのルールがあったってことです。

 それは、これも以前お話ししてるかと思いますが、初期の蛇ノ目釉剥ぎする磁器皿の場合、必ず砂目積みと組み合わせます。蛇ノ目釉剥ぎせずに砂目だけをするものはありますが、逆に、蛇ノ目釉剥ぎだけでして砂目を用いないものはありません。

 考えてみると一目瞭然ですが、砂目積みも蛇ノ目釉剥ぎも重ね焼きのための技法ですので、同じ目的の技法を重複して使っていることになります。肥前の技術は、本来李朝由来ですので、重ね焼きの場合は、砂目の方が本家本元の技法です。なので、砂目積みだけにとどめるものはあるわけです。じゃー、蛇ノ目釉剥ぎはどこぞの技法かと言えば中国です。日本磁器は、「李朝の技術で製作された中国風磁器」ってのが定義なので、磁器はできるだけ中国風に見せる必要があります。なので、あえて必要もない蛇ノ目釉剥ぎをしてるってことです。つまり、本来は重ね焼きするための技法ですが、初期伊万里の場合はいわばカザリ。一方、陶器の方は別に中国風ではないので、砂目積みだけにして、蛇ノ目釉剥ぎみたいな余計なことはしないってことです。

 つーことで、ついでですので、もう少しこの蛇ノ目釉剥ぎの話をしようかと思いますが、長くなりそうなので次回に回すことにしますね。(村)

 

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