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有田の陶磁史(424)

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    前回も引き続き、見込み蛇ノ目釉剥ぎの技法がらみで、内野山窯跡の出土資料についてお話ししているところでした。内野山では、17世紀後半には少し磁器も作られましたが、少なくとも17世紀の内は基本的には陶器生産の窯場です。

 少なくとも肥前の蛇ノ目釉剥ぎは、磁器皿などを中国磁器風に見せるための、いわばカザリとしてはじまっているので、内野山では1期~5期に区分されているうちで、17世紀第2四半期が主体とされる1期には、磁器が生産されていないため、必然的に蛇ノ目釉剥ぎする製品はありません。しかも、有田などでは寛永14年(1637)の窯場の整理・統合によって、陶器とともに下級磁器の生産を廃止しましたので、一旦は蛇ノ目釉剥ぎの技法自体が途絶えてしまったのです。

 まっ、つーのは有田の話ですよ。以前、お話ししましたが、窯場の整理・統合ってのは、有田と伊万里しか関係ないですから。たとえば、波佐見なんかでは、ほとんど途切れなく、続くかもしれませんね。ただ、波佐見なんかには、初期に蛇ノ目釉剥ぎするものはほとんどありませんが、1640年代中頃には、高台無釉で、見込みを蛇ノ目釉剥ぎして重ね焼きする青磁皿などが、中尾上登窯跡などで本格化するみたいです。こういうものは、有田にはありませんが、時期的には、外と内面に青磁や鉄釉と透明釉を掛け分けた、高台無釉碗などの流行時期といっしょで、量産化の流行ですね。

 実は、有田磁器でも、再び見込み蛇ノ目釉剥ぎ皿は復活するんですが、波佐見なんかよりは、チビッと遅いかな~?さすがに1640年代中頃までは遡れずに、たぶん1650年前後ってとこですかね。でも、初期のとは違いますよ。砂目はしないので。つまり、カザリじゃなくて、正真正銘の重ね焼き技法としての復活です。

 ただし、有田の場合は、窯場の整理・統合の際に、いっちょルールを決めました。それが、磁器の中でも、下級品は作らないってことです。もちろん、以前お話ししましたが1650年代後半になると、下級品の山ってのができますよ。でも、それ以前には、磁器自体高級品ですから、まだ窯場の整理・統合時の思想が生きてるわけです。

 そのため、見込み蛇ノ目釉剥ぎの皿の場合も、量産品ではあっても、下級品としては作らないわけです。重ね焼きする量産品なのに、下級品ではない。???でしょうか????答えは、色絵素地です。もっとも、1650年代前半頃の色絵製品と言えば、よーするに古九谷様式ですが、あんまり蛇ノ目釉剥ぎしたもののイメージはないかもしれないですね。というのは、蛇ノ目釉剥ぎした部分は色絵で隠すからです。当時色絵磁器はそれ自体相対的に高価なものですから、いくら蛇ノ目釉剥ぎする素地を用いていても下級品ではあり得ないわけです。

 こうした、見込みを無釉にして色絵で隠す技法は、17世紀後半以降もってか、幕末くらいまで内山ではずっと引き継がれます。18世紀頃には、外山の下級品の山などでは、波佐見なんかと同じように、見込み蛇ノ目釉剥ぎのままの皿や碗が生産されてますが、高級量産品の生産場所である内山の場合は、100%色絵で隠します。そのため、外山では19世紀になると、蛇ノ目釉剥ぎはなくなり、より傷跡の少ない足付きハマによる重ね焼きに変わりますが、内山では蛇ノ目釉剥ぎとか見込み全部釉剥ぎみたいな技法が継続されていくわけです。どうせ、色絵で隠しますからね。

 つーことで、有田の話をしてたら、内野山までたどり着きませんでしたので、続きは次回ということで…。(村)

    20260708写真
  • 色絵蔓草文小皿(1650年代:見込み蛇ノ目釉剥ぎ)〔有田陶磁美術館蔵〕


 

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