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有田の陶磁史(425)

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 蛇ノ目釉剥ぎの話、なかなか終わんなくなってきましたね~。もともとは、東京大学構内遺跡の下級武士さんなんかの長屋跡の焼土層出土品の話だったんですが、なかなか元に戻れませんね。でも、どうやらそろそろ戻れそうな予感もしてきました。書き終わってみないと分かりませんけどね…。

 もう忘れたかもしれませんが、その東京大学の出土陶片の中で、皿類の8割を占める肥前製品の中では、波佐見の木場山窯跡や中尾上窯跡などで生産されている、見込み蛇ノ目釉剥ぎ高台無釉青磁皿が約2割を占め、内野山の見込み蛇ノ目釉剥ぎの銅緑釉皿が約2.5割で、最も多い約4割の染付皿の中にも、波佐見などの見込み蛇ノ目釉剥ぎ製品が含まれてますから、出土した肥前陶磁器皿のだいたい半分近くが蛇ノ目釉剥ぎってことになるわけですよ。こんなに蛇ノ目釉剥ぎ製品の割合が高い組成なんて、時期や窯や工房と言った遺跡の種類を問わず、まず有田の遺跡なんかじゃお目にかかることはないですね。たとえ、下級品生産の窯であっても、まあ、18世紀でも時々は蛇ノ目釉剥ぎあるねって程度ですから。

 そんで、前回この波佐見の蛇ノ目釉剥ぎ青磁皿は、波佐見町の方では、1640年代中頃から本格的に生産されたと考えられているって話をしました。そして、もう一方の内野山の銅緑釉皿の方は、17世紀第2四半期とされる1期には確実なものはなくて、17世紀後半とされる2期には、皿の主力としてわんさか作られるようになるってことでした。東京大学の遺跡の方は天和2年(1682)の火災層ですから、内野山では2期に当たりますので、出土状況としては、時期的にちょうど良さげってとこですね。

 そんで、この波佐見の青磁皿と内野山の銅緑釉皿を比べると、それぞれ1640年代中頃と17世紀後半がはじまりってことですから、想定時期に多少誤差があったとしても、やや波佐見の青磁皿の方が成立が早そうです。

 この2つの産地の製品ですが、陶器と磁器という違いはあれ、見込み蛇ノ目釉剥ぎしていること以外にも、高台を無釉にする点や、前々回写真を提示したように、縁を折るものや折らないものがあったり、器形的にもよく似ています。そして、内野山の銅緑釉皿の方は3期以降になると、内面が銅緑釉で外面は透明釉の製品に画一化されますが、成立期の2期には内外面ともに銅緑釉のものも多く見られます。

 つーことはです。波佐見の青磁皿を内野山で陶器として模せば、銅緑釉皿になるってことですよ。まあ、今のところその繋がりを示すような確証があるわけじゃないですけど、やっぱ腐っても鯛で、磁器の方が高価ですから、その廉価版を作ろうとすれば、内野山みたいな陶器になるでしょうね。それに、そう考えれば、肥前ではもともと磁器の技法であった蛇ノ目釉剥ぎが、陶器の技法として流用されるようになった流れもスッキリとしますしね。

 でも、そうは言っても、磁器と陶器という胎質の違いだけじゃなくて、チビッとほかの違いもあります。それは、波佐見の青磁皿が見込み蛇ノ目釉剥ぎだけなのに対して、内野山の銅緑釉皿の方は、3期にはなくなりますが、2期には引き続き砂目も加えている点です。まあ、これは何となくさもありなんって感じですけどね…。だって、波佐見は有田と同じように、窯場の整理・統合を境に、有田にならえってことで、急速に陶器生産から撤退して、磁器の専業地に転化します。そしたら、陶器がなくなるわけですから、砂目関連の技法や材料を維持する必要がなくなるわけです。だって、従来の陶器は蛇ノ目釉剥ぎしないのがルールですから、重ね焼きするためには砂目が必須でした。でも、磁器の場合は、中国磁器風に見せるためだけに、蛇ノ目釉剥ぎと砂目という重ね焼き技法の二重奏状態だったわけですからね。だったら、もう砂目必須の陶器には戻らないんですから、磁器だけのために、わざわざ用途の重なる技法を二つ重ね続ける必要もないわけです。

 一方、内野山の方は陶器の産地ですから、ちと事情が異なります。2期になっても、最初の頃は1期から引き続き砂目オンリーの皿も作られて続けていますから、蛇ノ目釉剥ぎするならやっぱ砂目もでしょって初期のルールが断絶していないわけです。

 ということで、長々とご説明してまいりましたが、内野山の蛇ノ目釉剥ぎ技法は有田とは直接関係なくて、たぶんオリジナルは波佐見じゃないですかね~ってことです。でもね、まったく有田磁器と関係ないかといえば、そうでもないかも…?つーのは、内野山ののかけ分けは案外有田発かもしれませんよ。というのは、外面銅緑釉で内面透明釉の碗って、前回お話ししたように、1640年代から流行する高台無釉の有田製の外面青磁、内面透明釉の碗と同じ発想ですからね。急速に染付製品なども増えて量産品として生産されるようになりますが、実は、起源は窯場の整理・統合以前にすでにあって、外面は青磁か鉄釉かに限定され、本来天目形碗を模したので高台無釉になってるわけで、出発点は決して量産化のための高台無釉じゃないんですよ。記録はないですが、内野山の陶工の一部は有田の磁器生産に関わっていた人じゃないかなって思ってたりもしますしね。内野山の1期のまるで磁器を思わせる製品とか、碗の器形なんかもよく似てますし。なので、磁器生産の動向にちゃんと注視していたと思いますよ。まあ、こうして、肥前の中で本来磁器の技法であった蛇ノ目釉剥ぎとか内外面かけ分けとかが、陶器の技法としても使われるようになったってお話しでした。めでたし、めでたし…。(村)

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