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有田の陶磁史(427)

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   前回は、やっと蛇ノ目釉剥ぎの呪縛から解き放たれて、加賀藩邸の長屋建物群の出土製品に戻れたところでした。下級武士さんを主な住人とする長屋建物群では、全体的には磁器よりも陶器が多く使用され、皿類などでは、その約8割を占める肥前製品では、半数ほどが下級量産品の典型ともいえる蛇ノ目釉剥ぎするものでしたって話でした。その蛇ノ目釉剥ぎするものには染付製品もあるけど、主体は陶器では内野山の銅緑釉製品、磁器では波佐見の青磁製品ってことでした。

 そんで、もう一度、長屋建物群の被災瓦礫層出土陶磁器の割合を確認しておきますが、数量の多い上位3器種である碗・皿・鉢の場合、碗や鉢では約8割が陶器、つまり、磁器よりも陶器が圧倒的に多いってことです。

 そんで、その碗類では、全体の約6割が肥前陶器で占められており、その約6割中の約7割が以前お話しした呉器手碗で、約2.5割が京焼風陶器、その他が約0.5割だそうです。…、どうでもいいけど、何割がこれだけ続くと、もはや??。いや、賢い方には簡単なんでしょうが、そうでもない者には、多いんだか少ないんだかぜんぜんピーンってきませんね~。

 なので、小学生にでも分かるように、仮のお話しをしときますね。たとえば、出土品の中に碗が100個あったとします。その6割が肥前陶器ですので、60個が肥前陶器ってことになります。その内、約7割が呉器手碗なので、肥前陶器碗60個中42個が呉器手碗ってことになります。なるほど、たしかに多いですね。そんで、2.5割が京焼風陶器なので15個、その他が0.5割で3個。まとめると、出土碗が100個あったとすれば、その中の60個が肥前陶器で、

42個(呉器手碗)+15個(京焼風陶器)+3個(その他)=60個(肥前陶器)

 ってことになりますね。これなら、何となく割合が実感できます。

 ついでに、こないだからお話ししている皿も、あらためてやっときますか。皿の出土品中約8割が肥前陶磁だそうですので、同じように仮に100個皿があったとすれば、80個が肥前陶磁です。その内約4割が染付製品で32個。波佐見の青磁皿が約2割で16個。約2.5割、20個が内野山の銅緑釉皿、その他が1.5割で12個ってことになりますね。

 残りの鉢も、やはり肥前陶器が約8割を占めているそうで、またまた全体を100個とすると80個ってことですね。その中では、刷毛目鉢が約4.5割といいますから、鉢全体100個の中でも、36個が刷毛目鉢ってことになりますね。それから、三島手鉢が約2.5割だそうなので、こちらが20個。残り24個がその他の肥前陶器ってことになりますね。ちなみに、この刷毛目や三島手の鉢っていうのは、ほとんどは武雄の窯の製品です。

 第3回近世陶磁研究会の大会資料でこの内容をまとめられた成瀬さんも「このように特定の製品に偏在しているといえる。」とまとめられているように、たしかにいくつかの産地の製品が集中的に使われているようですね。つまり、陶器碗は大川内山なんかの製品主体、皿は磁器としては波佐見、陶器としては嬉野、鉢は武雄みたいな感じですね。あれっ?有田がないですね~??

 ってことで、次回は、残る染付製品の中に有田製品がないか、あるいはあるとすれば、どんな製品が運ばれているのかお話ししてみたいと思います。おしまい。(村)

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