前回は加賀藩邸の長屋建物群の出土製品の中でも、陶器や波佐見の見込み蛇ノ目釉剥ぎ青磁皿など、下級陶磁器の出土割合などについて、主にお話ししていました。碗については、呉器手碗とか京焼風陶器碗などのように、主に伊万里市の大川内山で生産されている陶器が出土しているらしいですが、掲載図版を見ると、たぶん数は多くはないと思いますが、染付磁器などもあります。でもこちらは、皿類と違って、なくはないですが、下級品らしきものはチビッとしかありません。
ずっと前にお話ししましたが、この長屋建物群には、下級武士さんだけが住んでたわけじゃなくて、聞番とか平士にあたる中級武士さんクラスとかも多少いました。報告者の成瀬さんによると、天和2年(1682)の罹災時には、聞番3名とその配下60名以上がピラミッド型構成で居住していたと考えられるそうです。
つーことで、話を戻して出土している磁器碗ですが、下級品どころか、実は、ほぼ有田の内山の製品で占められています。掲載図版をみる限り、さすがに南川原山のものはなさそうですが、まあ、もともと17世紀後半には、東南アジア向けの雲龍見込み荒磯文碗とか同じように東南アジア向けの白磁素地の色絵碗みたいな特定の種類を除けば、南川原山ではほとんど碗を生産してませんから、当然と言えば当然ですが…。いや、1650年代頃なら、まだ高級品の山になる前とかその途上でしたら、南川原窯ノ辻窯とか樋口窯にはありますよ。でも、まあ最高級品の山になる前は、最下級品の山だったわけですから、たとえ出土しても南川原山製の製品だとは、ゼッタイ見分けが付きませんけどね。
たぶん磁器碗は、陶器碗と比べて出土量自体少ないみたいですので、皿なんかだと波佐見の見込み釉剥ぎ青磁皿とか、下級武士さんたちが使ってた可能性の高い磁器なんてのもありますが、碗の場合は、磁器は聞番さんとか、長屋建物群の中ではチト偉い人が使ってたんでしょうね。実際に、さっき南川原山では碗が少ないって言いましたけど、逆に、中、下級品の山でも、17世紀後半ってのは案外碗って少なくて、やっぱ割合的には内山が多いんですよ。
染付皿の方ですが、いわゆる7寸皿みたいな中皿もあるけど、主体は5寸の小皿だそうです。中皿の場合は、中級品の山の製品と区別が付かないものもありますが、主体は内山製品で、少なくとも掲載図版の中には、南川原山製は見受けられませんね。こういうのも、きっと聞番さんとかのおうちで使ってたもんでしょうね。
続いて、量的に多いという5寸皿の方ですが、こちらは、染付碗や中皿と違って、結構バラツキがありますね~。でも、引き続きお話しすると、長くなってしまいそうなので、これについては、また次回ということで…。(村)