文字サイズ変更 拡大標準
背景色変更 青黒白

有田の陶磁史(431)

最終更新日:

 前回まで、なかなか終わりませんね~って感じで、加賀藩邸内の長屋建物群の出土製品について、お話ししてました。前回は、染付中皿について触れてました。中皿は、小皿に比べて数は少ないけど、出土製品の大半は内山製品でしょうねってことでした。

 今回は、小皿の話をしますが、こちらは中皿とはまるで様相が異なっています。さすがに確実に南川原山製と分かるものはほぼありませんが、内山から下級品の山の製品までは満遍なく揃ってますね。それから、有田の窯場の製品だけではなくて、嬉野の不動山(皿屋谷)窯跡の製品も出土してるみたいですね。つーか、有田の窯場だと下級品生産山を中心に、中級品の山にもチビッとあるってクラスの製品ですので、実際に不動山の窯跡で同じものが出土してるので分かりますが、そうでなければ、有田の製品と区別は付きそうにはありませんけど…。

 ちなみに、嬉野の不動山って言われても、あまりしょっちゅう取り上げられる窯でもないので、「それなにっ?」って方も多いかもですね。でも、意外かもしれませんが国史跡なんですよ。ただ、単独指定ではなくて、有田町の天狗谷窯跡や山辺田窯跡、原明窯跡と、武雄市の百間窯跡、それから泉山磁石場跡と合わせて、「肥前磁器窯跡」というくくりで、昭和50年代に指定されているんです。「へ~、結構Majorな窯跡ばかりだし、泉山磁石場もあるし、じゃー、さぞスゴい窯場なんでしょうね~?」な~んて思うかもしれませんが、まあ、よその市の遺跡をとやかく言うつもりはありませんが、きっと今なら国の指定までにはなってないでしょうね。

 つーのは、昭和期にはまだまだ窯跡の発掘調査自体が一般的ではなかったんで、原明窯跡なんかも似たようなもんですが、珍しいので、主に学術発掘された窯場なんかはほとんど指定されてるんですよ。今のように、各時期の焼成品の幅まで分かるようになったのは、バブル期に盛んになった開発に対処するため、平成期に手当りしだいにビシバシ行政発掘をするようになってからですから、昭和期には、まだまだそれぞれの操業期頃の窯場全体の中での位置付けなんてできなかったわけです。なので、発掘調査して窯体掘り出した窯は、珍しいので、多くは指定されたってことです。特に当時の発掘調査は、通常、窯体を完掘しますので、見た目はごっつハデなわけですよ。

 まあ、それはいいとして不動山ですが、佐賀本藩領の窯場で、皿屋谷1~5号窯跡と命名されている5か所の窯場で構成されています。なので、まあ、結構窯場としては規模は大きいですね。なお、この中で国史跡に指定されているのは、茶園改植工事に伴って発掘された3号窯跡です。

 それぞれの窯場は、ほぼ時期差はなくて、だいたい1650年代に開窯する17世紀後半の窯場です。質的にはチョットーってところですが、有田の下級品相当の製品ばかりじゃなくて、内山の劣化版みたいなもんもソコソコ焼成されてます。国内向けだけじゃなくて、芙蓉手皿や見込み荒磯文鉢みたいな海外向けもあったりします。ついでに周辺では、色絵磁器まで採集されてます。

 文献史料には一切出てこない窯場なので、成立の経緯は不明ですが、まあ、1650年代と言えばアレでしょうね。アレって、言えばアレですよ。嬉野だと吉田2号窯跡などとちょうど同じ時期の窯場ですが、吉田2号窯跡がらみで以前お話ししたように、有田の窯業の大再編で、きっと弾き飛ばされた口ですよ。たとえば、九谷や姫谷もそうですし、佐賀藩だと、この不動山や吉田2号とか、それから、平戸にある中野窯跡なんかもそうだと思いますよ。ただ、共通するのは、みんな短期間で終わったってことです。不動山なんて、まだ多少粘った方だとは思いますが、有田や波佐見、三川内みたいな母胎のでかい窯業地なんかと、商業生産として真っ向勝負をしてもなかなか生き残れるわけがないですからね。だって、超巨大企業と、零細企業、いや横綱と序の口の力士がっぷり四つで組もうとしたようなもんですから、そりゃ勝目はありませんからね。残念ながら、その時期に技術が移転した窯場は全滅です。まだまだ誰でも磁器が使える時代じゃないですから、後の時期のようにすき間を狙って奇襲をかけようにも、持ち駒がそんなにないですからね。

 ってことで、不動山の話をしてたら、本日はちと長くなってしまいましたので、とりあえずここまでにしときますね。(村)

このページに関する
お問い合わせは
(ID:4000)
ページの先頭へ
有田町役場 文化財課

〒844-0001 佐賀県西松浦郡有田町泉山一丁目4番1号

電話番号:0955-43-2678

FAX番号:0955-43-4185

© 2024 Arita Town.