ここしばらく、加賀藩邸内の長屋建物群の出土製品の話をしているわけですが、話があっちゃこっちゃに飛ぶので、なかなか話が進みませんね。とりあえず、今は染付小皿の部分で、寄り道しているところでした。
前にお話ししましたが、長屋建物群の染付小皿は、内山中心の中皿なんかと違って、はっきりと南川原山と分かるものはありませんが、それでもかなり幅広いランクの製品が集められています。
中皿の場合は、先日お話しした嬉野市の不動山窯跡なんかでも、内山の劣化版みたいなもんもそれなりに作ってますので、その中には中皿なども見られます。まあ、いわば有田で製品ランク別生産がはじまる以前の、一つの窯内でさまざまなランクの製品を生産スタイルをそのまま引き継いでいるのが、不動山窯跡みたいなところだとも言えるかもしれませんね。しかし、通常は海外輸出向けの芙蓉手皿なんかを除けば、中皿の生産は肥前の中でもかなり有田の内山に集約されています。
しかし、小皿の場合は、有田のどのランクの山でも生産されてますし、有田外でも多寡はあるものの、通常は作ってない産地なんてほぼありません。ちなみに、これはあくまでも17世紀後半の話ですからお間違えなく…。18世紀以降だと、また事情が異なり、有田の下級品の山なんかでは、ほとんど皿は作らなくなりますので。
そんで、長屋建物群で出土している染付小皿ですが、上質なものでは、もしかしたら南川原山?ってもんもないわけじゃないですが、ほぼ内山かなって感じで、低質なものは下級品の山ってところですが、実際には、その間に中級品の山の製品が入ります。しかし、この中級品の山の製品ってのがなかなかのくせ者で、多くはそう簡単には識別が難しいんですよ。
というのは、たしか以前お話ししたことがあると思いますが、中級品の山の製品って、実際には、ザ・中級品って特別なもんは、それほどないわけですよ。つまり、上は高級量産品の内山の類品だし、下は下級品の山の類品だしってことで、あまりオリジナリティのある中級品ってもんがないってことです。
なので、最高級品の南川原山には、1650年代後半以降には、時期にもよりますが、最大窯跡が4つくらい並行してあるし、下級品の山にも、応法山は3か所、広瀬山は2か所、それから大川内山に3~5か所窯場が並行してあるけど、中級品の山だと、外尾山も黒牟田山も、それぞれ外尾山窯跡と多々良の元窯跡の1か所ずつしかないわけです。つまり、実際には山としては中級に位置するランクだけど、独自の中級品という製品は、ほとんどなくて、上・下級ランクを繋ぐくらいの意味合いが大きいわけです。なので、需要を担当する範囲が狭いので、必然的に窯数も少なくなるってカラクリです。
そんで、また、ちなみにですけど、一時的にとは言え、じゃー南川原山には4つも窯跡が並行してあるから、ずいぶん最高級品の需要があったんですね~っな~んて思ったら間違いですよ。これも以前お話ししたんじゃないかと思いますが、ランク別生産に変わった当初は、本当に最高級品を多く生産したのは柿右衛門窯跡だけで、残りの窯場は、だんだんそれに追いつくって感じですかね。なので、柿右衛門窯跡以外は、せいぜい内山かそのチビッと頭ひとつ飛び出たくらいのクラスってとこかな。まあ、そのうち平床窯跡のように追いつく前に脱落したり、下南川原山は柿右衛門窯跡が廃止されて南川原窯ノ辻窯跡のみに統合されたりで、やっぱ、そんなに最高級品の需要なんてないわけですよ。でも、何しろ、その製品ランク別になる直前までは、南川原山と言えば、有田でも最底辺の山だったわけですから、それでも数段回特進の、天地がひっくり返るくらいの大ジャンプってとこではあるんですけどね。
つーことで、また本題とは外れたような気がしますが、まあ、こういう事情を知ってても別に損はないと思いますので…。(村)