先週は長いシルバーウィークを過ごしていて、記事をアップするチャンスを逸しましたので、1回掲載を飛ばしてしまいました。大変失礼いたしました。また今日から、続きです。
現在、加賀藩邸内の長屋建物群の出土製品についてお話ししてますが、ゴールまでもう少しなのに、なかなかドツボにはまって先に進まないですね~。でも、とりあえず、今は染付小皿について話を続けます。
出土している染付小皿は、この時期だと高級量産品を主体的に生産した内山と広瀬山など外山の下級品生産の山の製品が主体です。ただし、前回お話ししたように、この中には、中級品生産の山の製品も含まれている可能性が高いですが、中級品の山の性格上、それぞれ上下ランクに類するものも多く、これこそザ・中級品ってもんがそれほどありませんので、そっくり同じものが出土しないとなかなか見分けが付きません。つーか、同じようなものを内山とか下級品生産山が作ってたりもしますので、困ったことに同じもんが出土していても、必ずしも中級品の山の製品と断言できるとは限らないんだな~。内山とはよく見ると質差がある場合もなくはないんですけど、それも程度の問題ですので、言葉で説明するのはムリ。残念ながら、見慣れてもらうしかないですね。つーことで、なかなかキッチリとした線引きは難しいですね。まあ、下級品山の製品との比較も、似たり寄ったりってところですが…。
じゃー、加賀藩邸の長屋建物群で出土している染付小皿の中に、まったく中級品生産山の製品を探せないかと言えば、さすがに、中級品生産山の上でも下でもないど真ん中の製品くらいは見分けが付きますよ。
その一群が、口縁部が直行するか少し外反するかの違いはあれども、器形としては比較的単純な丸皿で、高台径も小さくありません。もちろんこんな器形自体は、どのランクでもありますが、施文ルールは内山と基本的に同じで、外面胴部に唐草文や折れ松葉文などを配し、通常は腰部に一重圏線を巡らし、高台内にも一重圏線の場合もあります。まあ、高台銘はない場合が多いですけど、これは内山でも必須というわけではないですからね。
じゃー何が違うかと言えば、内面文様のクオリティは、それなりに違いますね。それに、器壁が厚めで、表面はグレーがかっており、呉須の色調は鮮やかなものはほとんどなくて、多くは薄めの少し濁った色調を呈します。
な~んて、言葉で違いは説明できないって言っておいて、言葉だけで説明しとくのも何ですから、写真を掲載しときますので、違いを感じ取ってみてくださいね。ちなみに、どれもほぼ同じ1660~70年代頃の製品です。
Photo1は、ごく一般的な内山の製品です。中樽一丁目遺跡という、窯焼きの工房跡から出土したもので、たぶん近接する中樽窯跡で焼成されたもんだと思います。
次にPhoto2は中級品山である外尾山の外尾山窯跡の出土製品で、相対的に中級品生産山では上質に属す部類です。ちょっと焼きが甘いですが、ビシッと焼けてたら、なかなか内山の製品と区別は難しいです。
Photo3も、窯焼き工房跡の山辺田遺跡の出土製品で、たぶん多々良の元窯跡の製品です。黒牟田山も外尾山と同様に中級品生産山で、その中ではど真ん中くらいの質の製品です。でも、山辺田遺跡は山辺田窯跡の工房では?という事情ツーの方もいらっしゃるかと思いますが、山辺田窯跡は1650年代後半に廃窯になりますので、黒牟田山の窯場は、その後多々良の元窯跡だけになります。でも、山辺田窯跡に関わっていた人たちも一斉にどこかに行ってしまったわけじゃなくて、一部は17世紀後半までは山辺田遺跡の場所にとどまり続けて、窯業を営んでいたようです。その後、多々良の元窯跡にもっと近い、便利な場所に移り住んだみたいで、生活の痕跡がなくなりますけどね。
ということで、本日は、中級品生産山のお話しをしましたが、もう少し触れたいことがありますが、それはまた次回ということで…。(村)
