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有田の陶磁史(438)

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   前回は、いや前回“も”かもしれないですが、加賀藩邸内の長屋建物群の出土製品がらみで、染付小皿についての話をしてるはずですが、困ったことに、いっこうに染付小皿の話になりませんね~。

 前回まで、有田の中級品の生産山である外尾山と黒牟田山の窯跡の話をしてました。たびたび述べているように、有田の中級品生産の山というのは、いわば高級量産品生産の内山と下級品生産の応法山や広瀬山、そんで大川内山なんかの繋ぎの山という性格が強くて、ザ・中級品ってもんはそれほど多くないので、窯跡の数も少ないし、存在感もあんまりないですねってことでした。

 ちなみに、このブログのご常連の方にはあえてご説明の必要はないとは思いますが、大川内山と言えば藩窯があったところとして知られていますので、下級品生産の山と言われれば頭の中に「???」が飛び交う方もいらっしゃるかもしれませんね。でも、今では「藩窯」という当時はなかった新しい造語が一般化しているので錯覚されそうですが、現在「鍋島藩窯跡」という名称になっている窯跡は、当時風の呼び名だと「大川内山登」ってことになり、有田ではなく伊万里市の窯場ですが、有田にある皿山代官が管轄する、あくまでも民窯です。そんで、その中の焼成室2、3室、当時風の呼び名だと2、3窯だけ、藩が御用品を生産するために用いていたということです。なので、大川内山では、たしかに最高級の御用品を製作してはいますが、あくまでも山としては下級品生産の山で、焼成室を間借りしてたのは民間の方ではなくて藩の方です。御用品の製作は、17世紀には「藩窯」と言う名称ではなく「御道具山」で行われましたが、この「御道具山」は18世紀には「大川内御陶器方」の名称に変わります。ねっ、これって別の窯のことではなくて、御用品生産制度に則った役所のことだと思いませんか?つまり、藩窯の用語からイメージされるのはブルーカラーのお仕事ですが、「御道具山」とか「大川内御陶器方」ってのは、実はホワイトカラーのお仕事の方って話です。

 まあ、それはここでの本題ではないので置いといて、このように有田が製品ランク別生産に移行すると、ほとんど間髪入れずに、藩が異なる波佐見なんかでも同様な生産に切り替えるようになるわけです。みたいなお話をすると、現状の近世陶磁史研究なんかでは、製品の編年から、往々にして数年や数十年単位で物事が動いていたようにイメージしがちですが、そりゃ、現在の研究レベルでは、製品の識別が、その年代幅くらいでしかできないってことに過ぎませんからね。実際には、産業としては、日々刻々と動いているわけですよ。

 だって、想像してみてください。特に磁器なんかはそうですが、現在では伝統産業的なイメージがプンプンですが、それはあくまでも現代的な感覚での話。当時は、日本が誇る最先端の工業製品ですから、今でいうと半導体みたいなもんですよ。そんなもん、悠長に何年もかけてライバルの動きに対応してたんじゃ、とても競争を生き残れませんわ。なので、有田が効率的な生産に移行したって知れば、即座にそれに対処する必要があるわけです。

 ということで、またまた製品はぜんぜん出てきませんでしたが、もう少し製品じゃない話が続きそうなんですが、長くなりますのでまた次回ということで…。(村)

 

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