第12回は、「白焼(しらやき)窯跡」です。
所在地は有田町幸平二丁目にあります。史跡には指定されていません。
![20170831-1_1](https://www.town.arita.lg.jp/rekishi/kiji003963/3_963_1_p1bor8ul6efp83s21ehehuq8vc4.jpg)
白焼窯跡遠景(陶山神社から)
発掘調査は平成14年(2002)に駐車場建設に伴って、有田町教育委員会が部分的に行っていますが、記録や古地図には白焼登についての記載があって、文化11年の記録では23室、安政6年の絵図には22室、明治9年にも記載があり、同18年の「陶器根居簿」には白焼窯は23室あり、所有者の名前には「田代 助作」が23室のうち15室を所有し、田代家の養子である「田代 安吉」、他に「深川 栄左ェ門」や「森 松次郎」が所有していた記録が残っています。これらから、推定年代としても文化11年以前から19世紀~20世紀を含む期間の年代であることがわかっています。
現在の白焼窯は、写真のとおり1室ごとに登り窯の段々を利用して家が建てられています。すぐ横の陶山神社から見ると、その様子がよくわかります。また、物原は東側の陶山神社側の斜面です。
![20170831-2_1](https://www.town.arita.lg.jp/rekishi/kiji003963/3_963_2_p1bor8ul6e18171005bsqba69v85.jpg) | ![20170831-3_1](https://www.town.arita.lg.jp/rekishi/kiji003963/3_963_3_p1bor8ul6e1kjsg5kciu10881cj26.jpg) |
白焼窯跡(下から) | 上方にある粟島神社から |
(伊)H29.8.31