内山地区(1)・(2)のマップ

1.楠木谷(くすのきだに)窯跡
所在地 | 泉山一丁目字泉山 | 指定 | - | 窯体数 | 2基 |
推定 年代 | 1号窯:1640年代後半〜1650年代中頃 2号窯:1650年代 | 製品 | 1号窯:陶器・磁器 2号窯:磁器 |
調査 報告書 | 九州陶磁文化館 『楠木谷窯・小溝上窯』1987 有田町教育委員会 『楠木谷窯・天神町窯・外尾山窯』1992 | 調査歴 | 1986年度 九州陶磁文化館 1991年度 有田町教育委員会 1993年度 有田町教育委員会 |
備考 | ・1640〜50年代頃の最も上質な製品を生産した窯場の一つ。 ・喜三右衛門(初代酒井田柿右衛門)が赤絵や金銀焼付けを創始したと記す窯場の可能性がある。 ・主として中・小皿を中心に生産し、型打ち成形の製品も多い。 ・上質な製品と雑な製品の差が比較的明瞭。 ・色絵素地も多数出土。 |
2.枳藪(げずやぶかまあと)窯跡
所在地 | 泉山一丁目字泉山 | 指定 | - | 窯体数 | 1基 |
推定 年代 | 1640年代後半〜1650年代中頃 | 製品 | 磁器 |
調査 報告書 | 有田町教育委員会 『枳薮窯・年木谷3号窯』1997 | 調査歴 | 1996年度 有田町教育委員会 |
備考 | ・製品は、近接する楠木谷窯跡と酷似し、本来は同じ窯場か? ・最上焼成室床面から、素焼き片が多量に出土。 ・雑な小皿主体に出土し、良質な製品と雑な製品の質差が比較的大きい。 |
3.年木谷(としきだに)1号窯跡
所在地 | 泉山一丁目字年木谷 | 指定 | - | 窯体数 | 1基 |
推定 年代 | 1778年〜19世紀 | 製品 | 磁器 |
調査 報告書 | 九州陶磁文化館 『下白川窯・年木谷1号窯』1988 | 調査歴 | 1987年度 九州陶磁文化館 |
備考 | ・泉山新登。 ・『旧記』 安永七年(1778)築窯、文化十一年(1814)15室。 ・安政六年の絵図 未戴。 ・『百田家文書』文久二年(1862)の「窯室永代売渡」では5室以上。 ・慶応四年の絵図 では16室。 ・明治九年の記載の泉新窯か? ・製品の主体は染付碗。 |
4.年木谷(としきだに)2号窯跡
所在地 | 泉山一丁目字年木谷 | 指定 | - | 窯体数 | ? |
推定 年代 | ? | 製品 | - |
調査 報告書 | - | 調査歴 | - |
備考 | ・窯体未発見。製品・窯道具ともに不明。 ・明治九年(1876)の『陶業盟約』以後の窯場として『肥前陶磁史考』に記される年木谷窯の可能性もある。 |
5.年木谷(としきだに)3号窯跡
所在地 | 泉山一丁目字年木谷 | 指定 | - | 窯体数 | 2基 |
推定 年代 | 旧窯:1650年代 新窯:17世紀末〜20世紀 | 製品 | 磁器 |
調査 報告書 | 有田町教育委員会 『小溝上窯・年木谷3号窯』1994 有田町教育委員会 『枳薮窯・年木谷3号窯』1997 | 調査歴 | 1993年度 有田町教育委員会 1996年度 有田町教育委員会 |
備考 | ・旧窯の焼成室床下から、「年木山」銘のハマが出土。 ・新窯は泉山本登。 ・『旧記』 文化十一年(1814)の記録では29室。 ・安政六年の絵図では28室前後。 ・慶応四年の絵図では22室前後。 ・明治九年。同二十年の記載にある泉窯か? ・旧窯:雑な小皿主体に生産。製品は楠木谷窯跡や枳薮窯跡などに類似。 ・新窯:染付碗主体に生産。小形の製品がほとんど。 |
6.小樽(こだる)1号窯跡
所在地 | 中樽三丁目字保屋谷 | 指定 | - | 窯体数 | 1基? |
推定 年代 | 1620-30年代〜1650年代 | 製品 | 磁器 |
調査 報告書 | - | 調査歴 | - |
備考 | ・内山地区では、最も成立時期の早い窯場の一つ。 ・他の窯場よりも小坏が比較的多い。 |
7.小樽(こだる)2号窯跡
所在地 | 中樽一丁目字保屋谷 | 指定 | 県史跡(1986) | 窯体数 | 2基以上 |
推定 年代 | 旧窯:1630年代〜1650年代 新窯:1811年〜1870年代以前 | 製品 | 旧窯:陶器・磁器 新窯:磁器 |
調査 報告書 | 有田町教育委員会 『小樽2号窯跡』1986 | 調査歴 | 1984年度 有田町教育委員会 |
備考 | ・小樽登。 ・『旧記』文化七年(1810)に「皿山上幸平釜焼源吾」が築窯を願い出て、翌年焼いた記録。 ・文化十一年の記録に15室。 ・安政六年の絵図では16室。 ・明治九年の記録には見られない。 ・旧窯:皿の出土量が多く、小皿主体。辰砂の製品もある。陶器は少量。 ・新窯:蓋付端反碗主体。 |
8.山小屋(やまごや)窯跡
所在地 | 中樽一丁目字中樽 | 指定 | - | 窯体数 | 1基? |
推定 年代 | 1640年代〜1650年代初頭 | 製品 | 陶器・磁器 |
調査 報告書 | 有田町教育委員会 『山小屋遺跡』1987 | 調査歴 | 1986年度 有田町教育委員会 |
備考 | ・多様な製品を生産。いわゆる吸坂手の製品を生産した中心的な窯場。 ・存在を示す記録は見当たらない。 ・小皿主体。当時の他の窯と比べ鉄釉皿が多い。多様な技法が用いられている。 |
9.舞々谷(みゃーみゃーだん)窯跡
所在地 | 中樽一丁目字舞々谷 | 指定 | - | 窯体数 | ? |
推定 年代 | ? | 製品 | - |
調査 報告書 | - | 調査歴 | - |
備考 | ・比定地には遺物等が散布するが、窯跡が存在するかどうかは不明。 ・『肥前陶磁史考』より前には、記録が見当たらない。 ・窯体未発見。製品・窯道具等不明。 |
10.中樽(なかだる)窯跡
所在地 | 中樽一丁目字中樽 | 指定 | - | 窯体数 | 1基以上 |
推定 年代 | 19世紀〜20世紀含む | 製品 | - |
調査 報告書 | - | 調査歴 | - |
備考 | ・中樽登。 ・文化十一年の記録には25室。 ・安政六年の絵図には20室、物原は登りの右か? ・明治九年、同二十年の記録には中樽窯とある。 ・『肥前陶磁史考』には数室で稼働していることが記される。 ・窯体未発見。製品等不明。 |
11.前登(まえのぼり)窯跡
所在地 | 上幸平二丁目字上大 | 指定 | - | 窯体数 | 1基以上 |
推定 年代 | 19世紀を含む | 製品 | - |
調査 報告書 | - | 調査歴 | - |
備考 | ・前登。 ・文化十一年の記録には22室。 ・安政六年の絵図には12室、物原は登りの左か? ・明治九年の記録には前登窯とあるが、同二十年の記録には見られない。 ・窯体未発見。製品等不明。 |
12.西登(にしのぼり)窯跡
所在地 | 大樽二丁目字上大 | 指定 | - | 窯体数 | 1基以上 |
推定 年代 | 17世紀中葉〜後半、19世紀を含む | 製品 | 17世紀:磁器 |
調査 報告書 | - | 調査歴 | - |
備考 | ・西登。 ・文化十一年の記録には20室。 ・安政六年の絵図には14室、物原は登りの左か? ・明治九年、同二十年の記載には西登窯とある。 ・窯体未発見。17世紀の製品のみ採集品あり。 |
13.大樽(おおだる)窯跡
所在地 | 大樽二丁目字上大 | 指定 | - | 窯体数 | 1基以上 |
推定 年代 | 19世紀を含む | 製品 | - |
調査 報告書 | - | 調査歴 | - |
備考 | ・東登。 ・文化十一年の記録には25室。 ・安政六年の絵図には22室、物原は登りの右か? ・明治九年の記録には東登窯、同二十年の記録には大樽窯とある。 |
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