外山地区(2)のマップ
29.外尾山(ほかおやま)窯跡
所在地 | 外尾山丙字三郎山 | 指定 | - | 窯体数 | 6基以上 |
推定 年代 | 1号窯:1610年代〜1630年代 2号窯:1630年代〜1650年代 3号窯:1660年代〜1670年代 4号窯:1640年代〜1660年代 5号窯:1670年代〜18世紀前半 6号窯:18世紀後半?〜20世紀 | 製品 | 1・2号窯:陶器・磁器 3〜6号窯:磁器 |
調査 報告書 | 有田町教育委員会 『楠木谷窯・天神町窯・外尾山窯』1992 | 調査歴 | 1991年度 有田町教育委員会 |
備考 | ・承応二年の記録に外尾山とある。 ・文化十一年の記載には、外尾登10室。ただし、本窯か廟祖谷窯か明確でない。 ・安政六年15室。 ・明治九年の記録には外尾窯の記載。 ・1・2号窯:碗・皿主体に生産。皿は小皿が多いが中皿や大皿もいくらか生産されている。 比較的良質な製品も多い。 ・3号窯:染付中皿が主体。青磁大皿も比較的多い。4号窯の最終段階と同じ製品も見られる。 ・4号窯:染付小・中皿、青磁大皿などが主体。上層の製品には3号窯と共通したものが見られる。 ・5号窯:明確な物原層が発見されていないため、ほとんど焼成された製品は不明。 帰属が確実なものとしては、焼成室内からコンニャク印判の染付碗が出土。 ・6号窯:物原が調査されていないので、製品構成はほとんど不明。 |
30.外尾山廟祖谷(ほかおやまびょうそだん)窯跡
所在地 | 外尾山丙字三郎山 | 指定 | - | 窯体数 | 1基以上 |
推定 年代 | 18-19世紀を含む | 製品 | - |
調査 報告書 | - | 調査歴 | - |
備考 | ・文化十一年の記載に外尾登、10室とあるのは本窯か外尾山窯。 ・安政六年の絵図には8室、物原は登りの右か?。 ・明治九年、同二十年の記載にはない。 ・窯体未発見。製品等未発見。 |
31.丸尾(まるお)窯跡
所在地 | 丸尾丙字小溝原 | 指定 | - | 窯体数 | 1基? |
推定 年代 | 1640年代〜1650年代 | 製品 | 磁器 |
調査 報告書 | 有田町教育委員会 『窯の谷窯・多々良の元窯・丸尾窯・樋口窯』1989 | 調査歴 | 1988年度 有田町教育委員会 |
備考 | ・古文書類にはまったく記録が見られない。 ・所属した山も明確ではないが、外尾山の窯場か? ・皿類主体で、色絵素地皿も多数出土。青磁大皿も多量に生産。 |
32.掛の谷(かけのたに)窯跡
所在地 | 応法丙字掛丿谷 | 指定 | 町史跡(1970) | 窯体数 | 3基 |
推定 年代 | 1・2号窯:1650年代〜1660年代 3号窯:19世紀〜20世紀 | 製品 | 磁器 |
調査 報告書 | 佐賀県文化館 『有田外山応法地方 弥源次古窯址物原 ならびに掛の谷古窯址について』1970 有田町教育委員会 『小物成窯・平床窯・掛の谷窯』1993 | 調査歴 | 1966年度 佐賀県文化館 1992年度 有田町教育委員会 |
備考 | ・承応二年の記録には応法山の記載は見られない。 ・1号窯:雑な小皿が主体。年木山の同時期の窯場の製品に類似。 ・2号窯:雑な小皿主体に生産。製品は同時期の年木山の窯場と類似している。 ・3号窯:物原には、瑠璃釉の御神酒徳利等が多量に散乱。 |
33.弥源次(やげんじ)窯跡
所在地 | 応法丙字松山 | 指定 | - | 窯体数 | ? |
推定 年代 | 1650年代〜1670年代 | 製品 | 磁器 |
調査 報告書 | 佐賀県文化館 『有田外山応法地方 弥源次古窯址物原ならびに掛の谷古窯址について』1970 | 調査歴 | 1966年度 佐賀県文化館 |
備考 | ・承応二年の記録には応法山の記載は見られない。 ・調査されている地点は、本窯の物原ではなく工房跡の可能性もある。 ・出土している遺物も、本窯のものとは断定できない。 ・雑な碗・皿・瓶類主体。他の窯場と比べ瓶類の割合が高い。 皿類などは、窯の谷窯跡から出土しているものと類似。上絵付けした油壷も数点出土している。 |
34.窯の谷(かまのたに)窯
所在地 | 応法丙字松山 | 指定 | - | 窯体数 | 3基以上? |
推定 年代 | 1650年代〜19世紀 | 製品 | 磁器 |
調査 報告書 | 有田町教育委員会 『窯の谷窯・多々良の元窯・丸尾窯・樋口窯』1989 有田町教育委員会 『窯の谷窯跡』1994 | 調査歴 | 1988年度 有田町教育委員会 1992年度 有田町教育委員会 |
備考 | ・応法登。 ・『竜泉寺過去帳』で応法の初見は寛文八年(1668)。 ・文化十一年、安政六年の記録には20室。 ・元治元年の記録には17室。 ・明治九年の記録には応法窯とある。 ・『旧記』明和元年(1764)の記録では、「下焼物」を焼いたと記す。 ・成立期には雑な小皿主体。18世紀前半前後には碗・皿主体に変り、袋物の割合が増加。 18世紀後半以降は大半が瓶類。近代には大皿も多く生産。 |
35.山辺田(やんべた)窯跡
所在地 | 黒牟田丙字宮丿元 黒牟田丙字後口山 | 指定 | 国史跡(1980) | 窯体数 | 9基以上 |
推定 年代 | 4号窯:1600年代〜1610年代 7号窯:1610年代〜1630年代 3号・6号・8号窯:1630年代〜1650年代 1号・2号・9号窯1640年代〜1650年代 5号窯:? | 製品 | 1・2・4・6・7号窯:陶器・磁器 3・8・9号窯:磁器 |
調査 報告書 | 有田町教育委員会 『佐賀県有田町山辺田古窯址群の調査(遺構篇)』1980 有田町教育委員会 『佐賀県有田町山辺田古窯址群の調査(遺物篇)』1986 | 調査歴 | 1972〜75年度 有田町教育委員会 |
備考 | ・黒牟田山の窯場。 ・1640〜50年代の色絵素地が多量に出土。 ・焼成室床面の製品を除き、窯体と遺物の関係は不明。 ・5号窯は未発見。 ・1号窯:陶器および磁器の一部は、別な窯の製品と推定される。 染付を入れない色絵素地が多く出土している。 ・2号窯:陶器は別な窯の製品である可能性が高い。 染付を入れない色絵素地が多数出土している。 ・3号窯:出土している製品の多くは、3号窯のものではない可能性が高い。 染付を入れた色絵素地も多数出土しているが、確実に本窯の製品かどうかは不明。 ・4号窯:複数の窯の製品が混在している可能性が高い。 焼成室床面には胎土目積み、砂目積みの陶器皿や碗が残っていた。 染付を入れない色絵素地も多数出土しているが別の窯の製品である可能性が高い。 ・6・7号窯:両窯の製品を厳密に区別することはできない。 6号窯の焼成室床面では、1650年代頃の染付中皿と鉢が出土。 7号窯床面では1620〜30年代頃の染付瓶、染付大皿が出土している。 出土している色絵素地は6号窯の製品か。 ・8・9号窯:両窯の製品は明確には区別できない。 |
36.山辺田西(やんべたにし)窯跡
所在地 | 黒牟田丙字開田 | 指定 | - | 窯体数 | 1基以上 |
推定 年代 | 1610〜30年代 | 製品 | 陶器・磁器 |
調査 報告書 | - | 調査歴 | - |
備考 | ・畑の中に窯体の一部が露出。 ・付近に陶器や磁器が散布している。 ・製品は山辺田窯跡に類似。 |
37.黒牟田新(くろむたしん)窯跡
所在地 | 黒牟田丙字ゼメキ | 指定 | - | 窯体数 | 1基 |
推定 年代 | 1820ー40年代〜大正5年(1916) | 製品 | 磁器 |
調査 報告書 | 有田町教育委員会 『向丿原窯・天神山窯・ムクロ谷窯・ 黒牟田新窯』1991 | 調査歴 | 1990年度 有田町教育委員会 |
備考 | ・文化十一年の記録には見られない。 ・安政六年の絵図では9室程度。 ・元治元年の絵図では10室程度。 ・明治九年の記録には黒牟田登と記されている。 ・大皿など大形の製品が比較的多い。 |
38.多々良の元(たたらのもと)窯跡
所在地 | 黒牟田丙字多々良元 | 指定 | - | 窯体数 | 4基以上 |
推定 年代 | A窯:1650年代〜1660年代 B窯:1630年代〜1650年代 C窯:1650年代〜18世紀前半 D窯:18世紀後半〜大正 | 製品 | B窯:陶器・磁器 A・C・D窯:磁器 |
調査 報告書 | 有田町教育委員会 『窯の谷窯・多々良の元窯・丸尾窯・ 樋口窯』1989 | 調査歴 | 1988年度 有田町教育委員会 |
備考 | ・黒牟田登。 ・文化十一年の記録では18室。 ・安政六年の絵図では11室程度。 ・元治元年の絵図では13室程度。 ・明治九年の記録には局古窯と記されている。 ・A窯:製品の種類は比較的少なく、質的にもやや雑なものが多い。 染付網目魚文碗や芙蓉手大皿、青磁大皿などを主に生産。 ・B窯:染付小皿や碗を主体に生産。質的には比較的雑なものが多い。 色絵素地と推定される白磁中・大皿も比較的多い。 ・C窯:外山の窯場としては珍しく髭皿なども生産されている。 ・D窯:大皿などを多く生産。「本朝天保年製」高台銘の地図皿も出土している。 窯の谷窯跡などと同様に、小形の瓶類も多く見られる。 |
39.多々良(たたら)2号窯跡
所在地 | 黒牟田丙字多々良元 | 指定 | - | 窯体数 | 1基? |
推定 年代 | 近現代? | 製品 | 磁器 |
調査 報告書 | 有田町教育委員会 『一本松窯・禅門谷窯・中白川窯・多々良2号窯』1990 | 調査歴 | 1989年度 有田町教育委員会 |
備考 | ・窯体未発見。 ・少なくとも古文書類には記録が見られない。 ・聞き取り調査では、付近に昭和二十年代まで使用された窯が存在していたという。 ・窯跡なのか遺物の散布地なのか、これまでのところ明確にできていない。 |
40.小溝上(こみぞうえ)窯跡
所在地 | 南原甲字上迎原 | 指定 | - | 窯体数 | 5基 |
推定 年代 | 1号・2号窯:1600年代〜1620年代 3号〜5号窯:1620年代〜1630年代 | 製品 | 陶器・磁器 |
調査 報告書 | 九州陶磁文化館 『楠木谷窯・小溝上窯』1987 有田町教育委員会 『小溝上窯・年木谷3号窯』1994 有田町教育委員会 『小溝上窯・向丿原窯』1995 有田町教育委員会 『小溝上窯跡発掘調査概要報告書』 2011 | 調査歴 | 1986年度 九州陶磁文化館 1993年度 有田町教育委員会 1994年度 有田町教育委員会 1995・96年度 有田町教育委員会 |
備考 | ・『今村氏文書』に小溝山の名称が見られる。 ・小溝山は金ヶ江氏や家永氏ゆかりの窯場である可能性が高い。 ・初期の中心的な窯場の一つ。 ・磁器創始窯の有力な候補。 ・1・2号窯:物原が重なっているため、1号窯と2号窯の製品は厳密に区別することができないものがほとんど。 ・3〜5号窯:焼成室床面から出土したもの以外、3窯の製品を区分できない。 |
41.小溝中(こみぞなか)窯跡
所在地 | 南原甲字上迎原 | 指定 | - | 窯体数 | 1基 |
推定 年代 | 1610年代〜1630年代 | 製品 | 陶器・磁器 |
調査 報告書 | 有田町教育委員会 『小溝中窯・小溝下窯・清六丿辻1号窯・ 清六丿辻大師堂横窯』1988 | 調査歴 | 1987年度 有田町教育委員会 |
備考 | ・『今村氏文書』に小溝山の名称が見られる。 ・小溝山は金ヶ江氏や家永氏ゆかりの窯場である可能性が高い。 ・短期間操業した窯場か? ・磁器の製品構成は単調で、大形の製品はない。皿は陶器・磁器ともにすべて砂目積みしている。 |
42.小溝下(こみぞした)窯跡
所在地 | 南原甲字上迎原 | 指定 | - | 窯体数 | 1基 |
推定 年代 | 1610年代〜1630年代 | 製品 | 陶器・磁器 |
調査 報告書 | 有田町教育委員会 『小溝中窯・小溝下窯・清六丿辻1号窯・清六丿辻大師堂横窯』1988 | 調査歴 | 1987年度 有田町教育委員会 |
備考 | ・『今村氏文書』に小溝山の名称が見られる。 ・小溝山は金ヶ江氏や家永氏ゆかりの窯場である可能性が高い。 ・大皿や袋物などが比較的多く出土している。 |
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