文字サイズ変更 拡大標準
背景色変更 青黒白

窯跡(外山地区(1))

最終更新日:

外山地区(1)[26~28、46~53]の窯跡

外山地区(1)のマップ

外山地区Iの窯跡

26.禅門谷(ぜんもんだに)窯跡

所在地戸杓乙字善門谷指定-窯体数1基
推定
年代
1630年代〜1640年代製品陶器・磁器
調査
報告書
有田町教育委員会
『一本松窯・禅門谷窯・中白川窯・多々良2号窯』1990
調査歴1989年度 有田町教育委員会
備考・戸杓地区の窯場が属した山はこれまでのところ不明。
・本窯場も古文書類にはまったく記録が認められない。
・やや雑な碗・皿中心に生産。

27.一本松(いっぽんまつ)窯跡

所在地戸杓丙字向丿原指定-窯体数1基
推定
年代
1640年代〜1650年代製品陶器・磁器
調査
報告書
有田町教育委員会
『一本松窯・禅門谷窯・中白川窯・多々良2号窯』1990
調査歴1989年度 有田町教育委員会
備考・戸杓地区の窯場が属した山はこれまでのところ不明。
・本窯場も古文書類にはまったく記録が認められない。
・小皿中心に生産。質的にはやや雑なものが多い。

28.向丿原(むかいのはら)窯跡

所在地戸杓丙字向丿原指定-窯体数3基
推定
年代
1号窯:1610年代〜1630年代
2号窯:1620年代〜1630年代
3号窯:1630年代〜1640年代
製品陶器・磁器
調査
報告書
有田町教育委員会
『向丿原窯・天神山窯・ムクロ谷窯・黒牟田新窯』1991
有田町教育委員会
『小溝上窯・向丿原窯』1995"
調査歴1990年度 有田町教育委員会
1994年度 有田町教育委員会
備考・1号、2号、3号の順に構築か?
・戸杓地区で、唯一複数の窯体が存在する窯場。
・1・2号窯:碗・皿主体に生産。中皿には中国風な良質な製品もあるが、全体的にはやや雑な作りのものが多い。
・3号窯:小皿主体。質的にはやや雑なものが多い。

46.小物成(こもんなり)窯跡

所在地南山丁字梨木原指定-窯体数2基以上
推定
年代
1600年代〜1630年代製品陶器・磁器
調査
報告書
有田町教育委員会
『小物成窯・平床窯・掛の谷窯』1993
有田町教育委員会
『天神森窯・小物成窯』1996
調査歴1986年度 有田町教育委員会
1992年度 有田町教育委員会
1995年度 有田町教育委員会
備考・『今村氏文書』に記された『南川原山』の窯場の一つか?
・2基の窯体が発見されているが、物原層の分布などから3基以上存在する可能性が高い。
・1号窯:陶器よりも磁器の出土量が多い。型打ち成形の菊花形皿なども多く見られる。
・2号窯:物原下層は胎土目積み段階、上層は砂目積み段階。磁器は上層で出土。
1号窯に比べると陶器の割合が高い。

47.天神森(てんじんもり)窯跡

所在地南山丁字天神元指定-窯体数10基以上
推定
年代
1600年代〜1630年代製品3・4・7・9・10号窯:陶器・磁器 8・2・6号窯:陶器
5号窯:磁器
調査
報告書
有田町教育委員会
『佐賀県有田町天神森古窯址群調査概報』1975
有田町教育委員会
『天神森窯・小物成窯』1996
調査歴1974年度 有田町教育委員会
1995年度 有田町教育委員会
備考・初期の最も大規模な窯場。
・『今村氏文書』に記された「南川原山」の窯場の一つか?
・小溝窯と並んで有田町で最初に成立した窯場である可能性が高い。
・8号窯:磁器の散布は認められない。
・2号窯:製品は、本窯場で最も早い段階の一群。
ただし、調査面積がすくないため製品の全体像は把握できていない。
・10号窯:明確な物原が不明であるため、製品の全容は把握できない。
・3・4号窯:両窯の物原は同一方向にあり、厳密には区別できないものが多い。
磁器主体で、質的にも優れたものが多い。
・5号窯:磁器主体。染付皿が多い。
・7号窯:陶器と磁器を併焼しているが陶器の割合は少ない。
磁器皿には良質な製品が多く見られる。
・9号窯:明確な物原層が確認できないため、製品の全容は把握できない。

48.平床(ひらどこ)窯跡

所在地南山丁字平床指定-窯体数1基
推定
年代
1650年代〜1660年代製品陶器・磁器
調査
報告書
有田町教育委員会
『小物成窯・平床窯・掛の谷窯』1993
調査歴1986年度 有田町教育委員会
1992年度 有田町教育委員会
備考・古文書等には記録が見られない。
・隣接する南川原窯丿辻窯跡の一時期の窯であった可能性と、南川原窯丿辻窯跡と併存した窯場であった可能性がある。
・碗・皿類を主体として生産。中皿が比較的多い。

49.南川原窯丿辻(なんがわらかまのつじ)窯跡

所在地南山丁字竃の辻指定-窯体数4基以上
推定
年代
G窯:1650年代〜1660年代前後
F窯:1650年代〜1680年代前後
E窯:1670年代〜1750年代前後
D窯:1740年代〜近代前後
製品G・F・E窯:陶器・磁器
D号窯:磁器
調査
報告書
九州陶磁文化館
『南川原窯丿辻窯・広瀬向窯』1986
倉田芳郎ほか
『遺物・文献両面から観た近世肥前磁器』1993
調査歴1985年度 九州陶磁文化館
1990年度 駒沢大学
備考・承応二年の記録にある「有田皿屋」に含まれる南川原山か?
・下南川原山登。
・文化十一年の記録では14室。
・元治元年の絵図では5室。
・明治九年の記録には下南川原窯とある。
・G・F窯:雑な磁器碗主体から、やや上質な皿類主体に移行。大皿も見られる。
・E窯:染付皿主体。上質な製品を生産。
・D窯:染付皿を主体に生産。大皿も比較的多い。

50.柿右衛門(かきえもん)窯跡

所在地南山丁字梨木原指定国史跡(1989)窯体数2基
推定
年代
1650年代〜1680年代製品陶器・磁器
調査
報告書
有田町教育委員会
『柿右衛門窯跡発掘調査概報』1977
有田町教育委員会
『柿右衛門窯跡第2次発掘調査概報』1978
有田町教育委員会
『柿右衛門窯跡第3次発掘調査概報』1979
調査歴1976年度 有田町教育委員会
1977年度 有田町教育委員会
1978年度 有田町教育委員会
備考・17世紀後半の最高水準の製品を生産した窯場。
・下南川原山の窯場としては、一時期南川原窯丿辻窯跡と併存。
・相対的に早い段階の製品と推定されるものには、年木山の楠木谷窯跡との類似性が認められる。
・B窯、A窯の順に築窯か。
・中・小皿を中心に生産。
それぞれの窯で生産された製品は、明確には区別できないものがほとんど。

51.ムクロ谷(むくろだに)窯跡

所在地南山丁字竃の元指定-窯体数1基
推定
年代
1680年代〜1740年代製品磁器
調査
報告書
有田町教育委員会
『向丿原窯・天神山窯・ムクロ谷窯・黒牟田新窯』1991
調査歴1990年度 有田町教育委員会
備考・上南川原山の窯場としては、一時期樋口窯と併存か。
・古文書類には、記録が見られない。
・元文三年(1738)、享保十六年(1731)箱銘の伝世品と類似したものが、焼成室床面より多数出土。
・物原下層付近では瓶類や向付類なども比較的多く生産されているが、上層付近では皿類主体に生産している。
上質なものと雑なものが混在。

52.樋口(ひぐち)窯跡

所在地南山丁字幕の頭指定-窯体数4基以上
推定
年代
1号窯:1650年代〜1660年代
2号窯:17世紀末〜1720年代頃?
3号窯:18世紀前半〜19世紀
4号窯:1640年代〜1650年代
製品1・2・4号窯:陶器・磁器
3号窯:磁器
調査
報告書
九州陶磁器文化館
『百間窯・樋口窯』1985
有田町史編纂委員会
『有田町史 古窯編』1988
有田町教育委員会
『窯の谷窯・多々良の元窯・丸尾窯・樋口窯』1989
調査歴1982年度 有田町教育委員会
1984年度 九州陶磁器文化館
1988年度 有田町教育委員会
備考・上南川原山登。
・承応二年の記録にある「有田皿屋」に含まれない南川原山か?
・文化十一年の記録では13室。
・元治元年の記録では6室。
・明治九年の記録では上南川原窯とある。
・幕末〜明治頃の樋口太平(太右ヱ門)の窯。
・1号窯:陶器は4号窯の製品と酷似。一部は4号窯の製品の可能性もある。
・2号窯:製品は精緻なものが多く、同時期の下南川原山(南川原窯丿辻窯)との関りを伺わせる。
・3号窯:皿・鉢類主体に生産。18世紀中頃以降は比較的中・大皿も多い。
・4号窯:鉄釉陶器を主体に生産。
この時期に陶器を主体に生産した窯場は、有田町では他には例がない。

53.源左衛門(げんじゃーもん)窯跡

所在地南山丁字幕の頭指定-窯体数1基?
推定
年代
17世紀前半〜中頃?製品-
調査
報告書
-調査歴-
備考・未調査。
・窯跡と推定される場所は、茶畑の造成のため大規模に地形が改変されており、ほぼ壊滅状態か?
付近にわずかに焼土と遺物の散布が認められる。

窯跡(内山地区(1))別ウィンドウで開きます
窯跡(内山地区(2))別ウィンドウで開きます
窯跡(外山地区(2))別ウィンドウで開きます
窯跡(外山地区(3))別ウィンドウで開きます
窯跡(外山地区(4))別ウィンドウで開きます

このページに関する
お問い合わせは
(ID:2057)
ページの先頭へ
有田町役場 文化財課

〒844-0001 佐賀県西松浦郡有田町泉山一丁目4番1号

電話番号:0955-43-2678

FAX番号:0955-43-4185

© 2024 Arita Town.