有田町の概要

有田町とは

2006年3月1日、旧有田町と西有田町が合併し、新しい有田町は誕生しました。佐賀県の西部に位置し、面積65.85平方キロメートル、人口は約20,000人で、東西を黒髪連山と国見連山に囲まれた、豊かな自然に恵まれた土地柄です。

 旧石器時代から人々の痕跡が確認できる西地区では、平安時代末期になると、唐船城を中心に有田氏による治世がはじまり、農業を主体とした生活が営まれてきました。また、江戸時代には、佐賀藩領となり、1600年代には東地区を中心に窯業が興っています。ただし、もっぱら陶器を生産していた当初の窯業は、肥前の窯業地の縁辺に位置する極めて基盤の脆弱なもので、いつ途絶えてしまうかもしれない状態でした。

 これが一変したのが、1616年に多久から有田に移り住んだ朝鮮人陶工李参平の存在と、1610年代中頃にはじまった日本で最初の磁器生産です。李参平は窯業界のリーダーとして、磁器生産を本格化させ、有田の窯業繁栄の礎を築き、後に陶祖として崇められるようになっています。この李参平の移住した1616年を境として、有田はまったく新しい窯業地として生まれ変わったのです。

 そして、李参平らによって、1630年前後には泉山で良質な陶石が豊富に発見されたことで、本格的な産業的磁器生産体制が確立し、その伝統は今日まで連綿と受け継がれてきています。

 有田焼は、その後17世紀後半からは海外輸出を通じて世界にもその名が知られるようになり、一時は世界の磁器生産の中核地としての地位を占めました。

 その繁栄の軌跡は、“有田千軒”とも称された歴史的重要性の高い町家が軒を並べる、内山地区の町並みからも窺え、1991年には国の「重要伝統的建造物群保存地区」にも選定されています。

 「日本の棚田百選」に選ばれた“岳の棚田”や、「名水百選」や「水源の森百選」に選ばれた“竜門峡”をはじめ、美しい自然景観に恵まれており、また、一方で窯業関連の文化財や文化施設が「日本遺産」や「日本の20世紀遺産」に認定や選定されるなど、価値の高い文化的景観の宝庫でもあります。

 農畜産業の「食」と有田焼の「器」、その両方が相乗した魅力を堪能できるまち、有田。自然と歴史・文化、この多彩で豊かな観光資源を活かした町づくりに取り組んでいます。

有田の町並み 岳の棚田

有田内山地区の町並み

棚田

有田町の沿革

有田町の位置と地勢

有田町は佐賀県の西部に位置し、美しい景観を誇る田園地帯や黒髪連山など変化に富む豊かな自然に恵まれた温暖な気候の地域です。

北は伊万里市、東は武雄市に接し、県境を挟んで、西は長崎県佐世保市、南は長崎県波佐見町に接しています。また、有田川が南北に流れて伊万里湾に注ぎ、その東西には国見連山と黒髪連山が連なっています。

面積は65.85平方キロメートルで、令和3年10月1日現在の人口は19,330人、世帯数は7,836世帯となっています。

道路では、県内の主要幹線である国道35号が東西に横断し、福岡都市圏とを結ぶ国道202号が南北に縦断しているほか、北西部に国道498号が通っています。また、JR佐世保線が東西に横断し、伊万里と有田を結ぶ松浦鉄道が南北に通っています。

町章

有田町の町章

有田町の「有」をモチーフにはばたく鳥の形を表しています。

世界の大空へはばたく有田町の姿を鳥の形に込め、未来へ向かい、ひと・自然・文化がはばたく有田町を表現しています。

町花・町木

さくら さくらの木画像 多くの町民のみなさんにより町内随所に植栽されています。今では町内のいたるところに桜の名所が所在し、多くの町民に親しまれています。
いちょう いちょうの木画像 有田皿山のシンボルとして親しまれている「有田の大いちょう」が町内外に知られています。大正15年には国の天然記念物に指定されています。
縄文アラカシ 縄文アラカシ画像 山本区の4000年前に営まれていたと推定される坂ノ下縄文遺跡の食料貯蔵穴から出土したアラカシの実が発芽したものです。町内各所に植栽されています。